~Close☆Game~
聖☆矢好きィ~が日々の脳内妄想を吐いてるブログです。宜しかったら覗いてみて下さいね♪
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愛の形状。
アガペーとエロス。
神話の世界でも哲学の世界でも語られる愛の形である。
因みに愛と心を寓したものにエロスとプシュケーの物語がある。
それについては後日改める。
【アガペーとエロス】
神が遍く世界に降り注ぐ愛をアガペー(慈愛)という。
人間が神や神なるもの(真善美) を慕い求める愛をエロスという。
アガペーとエロスという二つの愛の方向があるように見えるのも実は錯覚である。
本来はアガペーもエロスも実は混ぜん一体となった一つの愛である。
人間というのは、自我を持ちはじめた時点から、その意識の内に、
二つの一見相対する意識、つまり自己矛盾をはらむ存在となってしまった。
それが故に、人間は、常に矛盾と相克の中で、
己れ自身を成長させなければならない運命を背負ってしまったのだ。
肉体と精神、希望と絶望、喜びと悲しみ、理想と現実、苦と楽という具合にだ。
男と女というのも実はこのような関係としてとらえることができる。
まだ何百年かかるか分からないが、男でも女でもない両性見有体というものが
地上に現われるだろう。真実なる愛の体現者である。
人間というものは常に絶対なるもの、つまり神やその属性である
真善美というイデアを求めなければ、真に永続的な幸福、
つまり至福というものを得ることはできない。
この世が多様に見えるのは実は人間の錯覚であるのだが、
そのような錯覚を持つ存在として作ったのも神である。
知的な人は真理を求めて神に近づく。
彼は考える人である。
意的な特性の強い人は行動をもって善をなす。
彼は宗教的特質をもつ人である。
情的特性の強い人は、美を求める。
彼は美術的特質をもつ人である。
この世(現象界)の多様性というものは
実は一過性のものであり、夢のように儚いものである。
宇宙は常に生成と消滅を繰り返す。
たとえ、現象界としての宇宙が何千億年何兆億年存在していようが、
永遠という視点から見るならば、一時のまばたきのように儚いものである。
二者反立の矛盾に満ちた存在である人間には、永遠というものはイメージや
予感として抱くことはできても、ついぞその実態を真に認識することはできない。
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